オヤジの七回忌で帰省。姉とともに海沿いに車を走らせると、もうかなり片付いており、驚いた。自衛隊や業者の方々の尽力に頭がさがる“本当にありがとう”
角材に日の丸が結んであり、がんばろう日本の心意気が伝わり涙がにじむ。
この辺りの海岸から実家のある国道6号線当たりは、海風のおかげか奇跡的に放射線量が少ない。毎時0.5〜0.6マイクロシーベルト程度である。
実家からまっすぐ一本道で3kmほどで、この交差点。途中にあるはずの知り合いや同級生の家などは基礎がかすかにわかるのみ…それほど綺麗になにもなくかたづいている。
建物が無いと自転車で走りまわったはずの地元がまるでわからない。
ここから北に北泉・からす・右田と続く浜がサーフィンのメッカになっていた。
まだまだ復旧は遠い印象だ。そして、すぐとなりコチラに続いている浜が右田(みきた)浜。
お高い電源付きキャンプ場やフィールドアスレチック、そして砂浜までご丁寧に階段まである。なにも無くなってしまったので、もし復活することがあればもっと大自然手つかずスタイルにして欲しいものだ。
地元復興になにか出来る事を考えよう。
2 Responses
7月 11th, 2011 at
こんばんは
凄く変わりましたね!
私が行ったときは手つかず状態の時だったので違うところの様に見えます
キャンプ場やサーフィンの場所にも行ってきましたが私が行ったときには沼の様なキャンプ場だったことを鮮明に思い出します
復旧が進んでて本当に良かったと写真や書き込みから察することが出来て嬉しくなりました
一日も早く人の姿や生活空間が現れる様に心より願ってます。
7月 11th, 2011 at
Seiさん、こんばんは
宮城県に比べると早く思われます。
実家でサクラの散歩とかしてると、他の散歩の人や
ジョギングする人などに普通とおりに会いますが、
やはり未就学児のような小さい子どもの姿は見かけません。
やはり… 時間が解決してくれる事を祈るばかりです!
Leave a Comment